邪馬台国は岩手県八幡平市にあった説の説得力がなかなか凄い

邪馬台国は九州でも機内でもなく、岩手県八幡平市にあったという驚きの説についてまとめています。この記事では「邪馬台国はどこですか?」(鯨 統一郎著・東京創元社刊)をネタバレしつつ、邪馬台国岩手県説の詳細や魏志倭人伝に基づいた根拠も調べてみました。

現在の歴史学では邪馬台国は九州、または畿内にあったとする説が有力ですが、「邪馬台国は岩手県にあった」とする驚きの説が存在します。

一見、奇をてらった説にも見えますが、実は根拠もしっかりしており、「魏志倭人伝」などの資料をもとにしていることから、ひそかに岩手県説を支持する人も少なくありません。

この記事では邪馬台国岩手県説について調べ、その詳細や根拠についてまとてみました。

邪馬台国岩手県説とは

邪馬台国が岩手県にあったとする説は「邪馬台国はどこですか?」(鯨 統一郎著・東京創元社刊)という書籍で1998年に発表された説です。
 

邪馬台国はどこですか? (創元推理文庫)
鯨 統一郎
東京創元社
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この作品はいわゆる歴史研究書ではなく、小説形式で様々な歴史の謎をダイナミックに解き明かす短編集となっています。

その中の2番めの章「邪馬台国はどこですか?」で、邪馬台国岩手県説が紹介されています。

作品の結論をネタバレすると、具体的には岩手県の八幡平市に邪馬台国が存在したと結論づけています。

出典:http://www.city.hachimantai.lg.jp/cat1557/cat1544-3/post_437.php


邪馬台国岩手県説の根拠その1 当時の地図では日本は南北が逆に描かれていた

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E4%B8%80%E7%96%86%E7%90%86%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%9B%BD%E9%83%BD%E4%B9%8B%E5%9B%B3

この地図は「混一疆理歴代国都之図」(こんいつきょうりれきだいこくとのず)と呼ばれる地図で15世紀の朝鮮で作られたものです。

この地図では日本列島が南北逆に描かれています。つまり、この時代までの世界地図では日本列島の南北が間違って伝わっていたことになります。

邪馬台国の位置を「魏志倭人伝」で伝えられている通りに辿ると、台湾の東側の海上になってしまいます。よって距離、または方角が間違って書かれているというのが定説で、距離が間違っていて方角を正しいとするのが九州説、距離が間違いで方角が正しいとするのが畿内説です。

しかし、「魏志倭人伝」が書かれた当時の世界地図で日本の南北が上に示した画像のように南北が逆に描かれています。魏志倭人伝の通りに邪馬台国へのルートを辿ると台湾の東側の海上になってしまいますが、この地図を参考に「魏志倭人伝」に書かれた通りに邪馬台国の位置を探すと岩手になるのです。

つまり、「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国の位置は距離も方角も正しく、地図が間違っているということになります。


邪馬台国岩手県説の根拠その2 魏志倭人伝で書かれた魏の使者は邪馬台国に行っていない

「魏志倭人伝」では、対海国(対馬)→一大国(壱岐)→末廬国(佐賀県唐津市)→伊都国(福岡県糸島市)のルートで日本に来ていますが、このルートの方角は現在の地図で見てもおおよそ正しいです。

ではなぜ伊都国以降、邪馬台国までの方角だけが間違えているのか?

「邪馬台国はどこですか?」では、これを「魏からの使者は伊都国までしか行っていないから」としています。

「魏志倭人伝」には伊都国には「到」(到るの意。最終目的地に着くという意味が含まれる)という文字が使われているが、他の国には「至」という文字が使われていることに着目しています。

つまり魏からの使節団の最終目的地は伊都国で、伊都国以降に紹介されている国には行っておらず、地図を参考に距離や方角を記しただけ。しかし、当時の地図の南北が逆なので伊都国以降の方角が間違えているように読み取れてしまう…というわけです。

出典:http://www.iokikai.or.jp/kodai.itokoku.html


邪馬台国岩手県説の根拠その3 皆既日食が見られた

邪馬台国の卑弥呼が失脚した原因を皆既日食とする説があります。

卑弥呼は日蝕の予報が外れて殺されたとする説もある
出典:https://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/afjphimiko.htm

卑弥呼は248年に死去したとされていますが、その時期、247年と248年に日本列島付近で皆既日食が観測できたことが天文学でわかっています。

ただし247年の皆既日食は日没後。九州地方で日が欠けながら没していくのを観測できただけだと推定されています。

いっぽうの248年の日食は日の出直後に日食が始まります。また食分0.95(太陽の欠けた割合が95%以上であることを示す)のエリア内に岩手県が入っており、仮に邪馬台国が八幡平市にあった場合、日の出後に太陽が95%程度欠けた時間が存在したことになります。

卑弥呼が死んだとされる248年の皆既日食は間違いなく日本で観測された。問題はこの時皆既日食が見られた地域である。これも既に特定されているのだが、それを本書では「能登から奥州」の範囲だと言っている。そして、現在の議論で邪馬台国があったとされる九州や近畿では皆既日食ではなかった
出典:http://touhoku.blog.jp/archives/51832631.html

出典:https://www.nao.ac.jp/contents/about-naoj/reports/report-naoj/13-34-3.pdf


邪馬台国岩手県説の根拠その1 地名がモロに邪馬台国

「邪馬台国はどこですか?」の中で邪馬台国に比定されているのは八幡平市です。

その根拠として八幡平(はちまんたい)という地名が「やまたい」とも読める点をあげています。

たしかに「平」を「たいら」ではなく「たい」と読むのは非常に珍しく、もともとあった「やまたい」という呼び名に漢字を当てていった後に訛りや音読みが定着し「はちまんたい」になった…という推測も成り立つように思えます。

ちなみに同作品では、邪馬台国にたどり着く途中の投馬国は富山県に比定しており、これも読みが非常に似ています。

まとめ

・邪馬台国は岩手県八幡平市にあった
・当時の世界地図で日本列島が南北逆に描かれているとすると、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の位置は岩手県であってもおかしくない
・東北地方の広い範囲で248年の皆既日食を観測できる
・八幡平という地名が邪馬台国に近い


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