志村けんとタモリは芸能界ではほとんど接点がないままでした。
しかし、かつて志村けんが「笑っていいとも!」出演を断った過去があることから、一般には両者は不仲であるとされてきました。
後に関係は修復し、2013年には志村けんが「笑っていいとも!」のテレホンショッキングに出演しています。
この記事では志村けんとタモリが不仲だった証拠と、両者の関係がわかるエピソードをまとめてみました。
志村けんが「笑っていいとも!」出演を断った過去
志村けんとタモリの不仲説を決定的にしたのは、1992年に志村けんが「笑っていいとも!」のテレホンショッキングへの出演を断ったことがきっかけです。
1992年2月、桑野信義がお友達として紹介したのは、師匠でもある志村けんだった。しかし、志村は「明日ゴルフなんですよ」と出演を拒否。タモリが再度、出演オファーするものの、志村は「明日天気いいもんで…」と断固拒否を貫いた。電話を切った後、タモリは桑野に「ちゃんと出る人を」と思わずクレームを入れていた
以前からタモリと志村けんには不仲説があり、この一件はそれを裏付けるエピソードと言われている
このときの様子は「笑っていいとも!」放送事故ランキングの2位になっており(https://www.excite.co.jp/news/article/Bucchinews_240/)、視聴者にはかなりのインパクトがありました。
志村けん「あの人の笑いはあまり好きじゃない」
志村けんとタモリの不仲説が囁かれる理由として、「たかじんONE MAN」での志村けんの発言があります。
このとき志村けんはタモリについて、「あの人の笑いはあまり好きじゃない」と発言しています。
不仲説がささやかれるゆえんの一つに、以前、テレビ番組『たかじんONE MAN』(MBS)で志村が、「あの人(タモリ)の笑いはあまり好きじゃない」と明かしたことがある
このとき志村けんはタモリを人間的に嫌いと言いたかったわけではなく、笑いに対するスタンスが違うという意味で発言しています。
また、タモリとは、共演自体は少ないものの、「ジャングルTV 〜タモリの法則〜」や「ミュージックステーション」に志村がゲスト出演しており、共演NGというわけでもありませんでした。
つまり、親しくはなかったが共演NGでもない…というのが両者の関係に関する真相でしょう。
志村けんはお笑いBIG3に脅威に感じていた
志村けんが1992年に「笑っていいとも!」出演を拒否したのは、一説にはトーク番組が苦手だからだと言われています。
志村けんは作り込んだコントを得意としている一方で、フリートークではBIG3に勝てないと考えていたのかもしれません。
その証拠に、よく飲みに行ったという生島ヒロシに対しては、タモリ、たけし、さんまのBIG3の台頭に危機感を感じていたことを明かしています。
独立後もよく一緒に飲みに行っていたという生島は、志村さんは「オレは常に不安だ」と、タモリ(74)やビートたけし(73)、明石家さんま(64)らの台頭に危機感を募らせていたという。このため志村さんは国内外からビデオを取り寄せてネタの研究に励んでいたそうで「いつ脅かされるかもしれないから自分にできる最大限のことをやる。毎日やったことが自信につながる」と話していたという
2013年の笑っていいとも出演では親しげにトーク
志村けんとたけしは、たしかに一時期不仲説がありましたが、実は志村けんは「笑っていいとも!」に3回出演しています。
1回目は2000年10月6日、2007年7月2日、そして2013年11月5日の3回です。
3回目の出演時の模様はYouTubeで見ることができますが、このときタモリは志村を「志村けんちゃん」と呼んでおり、トークでも不仲である様子は一切ありませんでした。
タモリは1945年生まれ、志村けんは1950年生まれと同世代で、ライバル意識から、たしかに親しくはなかったかもしれませんが、2013年時点ではお互いにリスペクトし合う仲になっていたことは間違いありません。