かつては仲が悪かった?志村けんとビートたけしの関係がわかるエピソード集

志村けんとビートたけしは仲が悪かったのか、あるいはお互いのことをどう思っていたのか。両者の関係性がわかるエピソードをまとめてみました。

志村けんとビートたけしは1999年に「神出鬼没!タケシムケン」で共演して以降、兆候な関係だったことが知られています。

しかし、かつてTBSの「8時だョ!全員集合」、フジテレビの「オレたちひょうきん族」で視聴率を争ったライバル同士で、なかなか接点らしい接点はありませんでした。

この両者、視聴率ではライバル関係、年齢はたけしが3つ上だが、テレビに出始めたのは志村けんが早かったりと、なにかと複雑な関係でもあります。

この記事ではそんな志村けんとたけしの本当の関係がわかるエピソードをまとめてみました。

共演番組「神出鬼没!タケシムケン」はたった1年で終了

『8時だョ!全員集合』(TBS系)と『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)という人気番組に出演するライバルだった志村さんとたけしさんですが、1999年にスタートした『神出鬼没!タケシムケン』(テレビ朝日系)で共演が実現しました

お笑い界の2大スターが競演ということで局側も力を入れたものの、1年間で打ち切りに。たけしは後年、自著の中で『この番組は自分達がやりたかった事と、スタッフがやろうとした事の意思疎通がうまくとれなかった』と語っています

制作にイザワオフィスとオフィス北野の両方が名を連ねていたため、たけしのスタッフで行くのか、志村さんのスタッフで行くのか、うまく交通整理ができていなかった。制作側が焦って作りすぎた感もあり、あと半年くらい練ってからやっていれば違ったと思いますが、演者に制作サイドが追いついてない印象。結果、1+1を3にするつもりが、2にもならなかった

両雄並び立たず…「神出鬼没!タケシムケン」に出演した玉袋筋太郎の証言

「ウチのたけし師匠と志村さんが鳴り物入りで始めた『神出鬼没!タケシムケン』(テレビ朝日)があって、僕もそこで共演させてもらった。だけど、鳴り物入りで始めた番組なのにすぐに終わってしまったという(笑)。両雄並び立たずというか。やっぱり志村さんにあいさつする時は緊張しましたし、オーラも凄かった。残念です」と悼んだ

志村けんがたけしに頭を下げていた…ガダルカナル・タカの証言

タカがとりわけ印象的だと振り返るのが、共演番組の収録後。たけしがテレビ局から車で出て行く時、スタッフや軍団が一列になってたけしの車に頭を下げて見送るのだが、いつの間にか、列に志村さんも加わっていて同じように深々と頭を下げていたという。

 無論、その時点で既に志村さんも大御所だったが、偉ぶることなく、計算でもなく、シンプルに先輩に敬意を払う。その素直さと柔軟性に心が揺さぶられたとタカは話す


高級クラブの支払いで喧嘩をしたことも…諸星和己の証言

光GENJI時代、人生で悩んでいる時に相談に乗ってもらっていたなど、たけしを「恩人」と表現した諸星。そのたけしと2人で飲みに行った際のエピソードを語り始めた。

 向かった高級クラブには偶然志村がいたといい、一緒に飲むことに。しかし、支払いする時になり大御所2人が喧嘩を始めたという

「(料金は)170万円ぐらいするんです。空ける(飲む)ものが違うから。そこでたけしさんが『俺の方が年上』、志村さんが『俺の方が芸能界古い』って始まって。俺が払うぞと…」と、2人の言い合いを披露。その際、諸星が「俺が払います」と仲裁に入ったところ、2人からは「そう?」と支払いを譲られたと明かした

テレビ朝日「神出鬼没!タケシムケン」(1999年から2000年)などで共演の機会も生まれ、その流れで、志村さんとたけしが飲みに行くこともあったという。そこでは「けんちゃん」「たけしさん」と呼び合い、店の会計は志村さんより3歳上のたけしがしていたという

最初のエピソードは志村けんがたけしと共演する前の1990年代初頭のもので、後のエピソードは1999年~2000年頃のものと思われます。

たけしのほうが年齢は上ですが、芸能界では志村けんのほうが先輩という複雑な関係から、当初はどちらが支払いをするか揉めたものの、後にたけしが支払いをすることに落ち着いたことがわかります。


たけしのラジオ番組を見学しに来ていた志村けん

ビートたけしと志村けんが共演を果たす前の、数少ない接点として、高田文夫が「ビートたけしのオールナイトニッポン」に志村けんが見学に来ていたことを明かしています。

(高田文夫)だろう? 本当にしゃべらないよね。だからあの人、いかりやさん直伝で、コントだけは役作りしてウワーッてやるのをずっとやっていたんで。そしたらたけしさんと俺がたけしさんのオールナイトニッポンをやっている時。深夜放送の生放送中にさ、「ちょっと勉強させてください」ってさ、志村さんと当時の作家の人と、2人で生放送中に来て。それで最後まで聞いていて。それで「おう、志村!」「どうですか?」って聞いたら「到底、私にはできない仕事です」って帰っていったのよ。

だから周りの人がみんな「オールナイトとかやりませんか?」ってたぶん声をかけたんだと思うんだよ。でもしゃべりになると、たけしさんがいたから。ウワーッとしゃべるだろう? 「ああ、これは勝てない」っていう。だから「自分は作り物のコントを作っていこう」っていう。そっちでそういうライバルがいたから、余計によかったんじゃないかな? だから志村さんは自分の方のコントの役作りを。それでバカ殿とか変なおじさんとか、そういうのを作っていったわけで。いやー、やっぱりね、偉大な喜劇人だったね。やっぱりすごいよ。

ビートたけしがオールナイトニッポンをやっていたのは1981年から1990年までなので、おそらく80年代中頃~後半のエピソードでしょう。

当時はお笑いがコントからフリートークの時代へと変わりつつある中で、志村けんはたけしがやっていたようなフリートークには手を出しませんでした。たけしのラジオでの圧倒的フリートークを見て、「これは勝てない」と思ったことが、以降コントに専念するきっかけになったのかもしれませんね。


志村けんはビートたけしのことをどう思っていたのか?

志村けんが同世代のビートたけしをどう思っていたのか。2015年に「日本人として知っておくべき 戦後の51人」(テレビ東京)でビートたけしと共演した際、このように語っています。

同時間帯に放送していた『オレたちひょうきん族』について、志村は「『8時だョ!全員集合』を生放送でやっていたので、一度も見たことがなかった。ビデオも無い時代だったので時間をずらしてくれれば見られたのに」と残念がり、その『オレたちひょうきん族』に出演していたたけしは、「『オレたちひょうきん族』ではドリフに対抗して、全く正反対のことをやろうと言っていた。自分もドリフみたいな団体芸をやりたくて、たけし軍団を作った」と知られざる秘話を語った

視聴率競争をしていた関係で、お互い意識はしていたようですが、志村けんはむしろ同じ時間帯にお笑い番組を放送することを残念がっており、対抗意識はたけしの側の方が強かったことがわかります。

志村けんとたけしが共演を果たす前は、仲が悪かったということではなく、お互い太原意識はあったが、接点がなく、交流もほとんどなかった…というのが真相でしょう。


たけし軍団に志村けんがお金を払っていたのはデマ!

ビートたけしがフライデー襲撃事件でしばらくテレビ番組に出演できなかった時代に、志村けんがたけしの代わりにたけし軍団とたけしの家族の金銭的な面倒を見ていたという「フライデー襲撃事件美談」が、一時期ネット掲示板などでさかんに書き込まれましたが、実はこれはまったくのデマでした。

「志村けんとビートたけしの美談」とは、1986年のフライデー襲撃事件の直後、ビートたけしが謹慎していた間、たけしの家族とたけし軍団の生活費の面倒を志村けんが見ていたというもの。ビートたけしの著書が出典とされており、志村の負担額は3億円にも上ったとのこと。当時二人は「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」と「オレたちひょうきん族」で視聴率を争うライバル関係だったにもかかわらず支援した“いい話”として、Facebook上で急速に広まっていた。11日午前10時現在、すでに13万人以上が「いいね!」を付けている

その美談デマの中にはたけしが「必ず返す」と伝えても「俺が勝手にやった事だから忘れて。それよりこれからも良きライバルでいてよ」と志村けんが応えたことになっています。

しかしたけしのフライデー襲撃事件が起こった1986年には、志村けんとたけしはまったく接点がありません。

この美談が拡散していた2013年当時、ビートたけしが所属していた事務所、オフィス北野もこの美談を公式に否定しています。

これは全くの作り話だったようで、たけしさんの所属事務所は「全くの事実無根の捏造記事だ!」と完全否定し、記事の削除と、これ以上騒ぎが大きくなるのなら、業務妨害で筆者を訴えたいなどと怒り心頭の様子だ

ビートたけしと志村けんが交流を持つようになったのは、「神出鬼没!タケシムケン」以降で、この番組をやろうとたけしに接近してきたのは志村けん側だという証言もあります。

「そもそも、志村の方から“一緒に仕事をしたい”と接近したんです。『8時だよ! 全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』は台本がしっかりしていて、ハードなリハーサルを積み重ねて本番に挑む。そのため志村はアドリブが利かず、ピンで活躍するようになってから悩んでいた。その時に、真逆の芸風のたけしに接近したんです」(2人の関係を知るマスコミ関係者)

「当時は、“これが志村か?”と思うほど風采の上がらないおじさんでしたよ。ところが、たけしと出会ってから別人のようになった。それこそ“変なおじさん”に変身したんです」(テレビ関係者)

実際は90年代後半に、時代についていけなくなり、忘れられかけていた志村けんが、ビートたけしと共演することで再浮上するきっかけとなった…というのが真相でした。


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